館山リノベーションスクールはじめて物語【最終章】新しい朝
(「第5章」からのつづき)
【最終章:新しい朝】
2019年12月の館山のまち。
例年であれば、忘年会やクリスマスでどこか浮かれた気分になるものですが、この年ばかりは違っていました。
有休不動産の再活用どころか、倒壊した家屋の取り壊しも始まり、駅周辺の空き地化が加速を始めています。
まち中ではまだまだ屋根工事の順番を待つブルーシートが景色を取り囲んでいます。
「うちもブルーシートのまま年を越さないとならないよ」
そんなため息混じりの声も多く聞こえていました。
「それどころではない」リノベーションスクールの参加者募集は困難を窮めましたが、口コミで、一本釣りで、まちなか交流館での説明会で一人一人と参加者を増やしていきました。
「高校生に選ばれるまち、高校生が関われるまちづくり」は館山のリノベーションまちづくりのコンセプトですが、市役所担当者は市内の高校に丁寧に挨拶まわりも行きました。
こうして年末ギリギリになって、なんとか定員を充足させたのです。
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1月8日。「第1回リノベーションスクール@館山」初日の朝。
スクールマスター青木純さんのオープニングトークの一声は「まずは、開催できて本当によかった」
それは関係者一同にとっても同感でした。
その一言につきます。
本当によかった。
こうして第1回目のリノベーションスクールは幕を開けました。
始まるまでが私の仕事で、始まってからはリノベリングさんの仕切りと、ユニットマスター、ローカルユニットマスターにお任せで。
スタートした後の事は多くの経験者もいるので、ここでの詳細紹介は割愛しますが、私にとっては夢のような光景が絶えなかった3日間でした。
私はというと、あたりをうろついて、いっぱい笑って、いっぱい飲んで、いっぱい泣いた。
「館山でも実現できた」
妄想を始めたあの頃からすると夢のような時間でした。
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リノベーションスクール最終日の朝。
検討会場では最終プレゼンを数時間後に控え、参加者達は焦りながらも心から楽しそうに分業を行なって準備を進めています。
私は一人、館山駅の2階テラスにあがってプレゼン会場となるサカモトビル1階を見つめていました。
間もなくここで公開プレゼンが始まる。
「新しい朝だ。希望の朝だ。」
懐かしい歌が頭によぎりました。
新しい朝、希望の朝、というのは、こういう朝なんだ!
50歳を目前にして初めてその感覚がわかったのでした。
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公開プレゼンの様子は、ぜひYoutubeでご覧ください。
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以上で第1回リノベーションスクール開催までの経緯ご紹介は終わります。
その後の事はそれはそれで多くのドラマがあります。コロナ禍という状況で翻弄されつつも、動きは止まっていません。
リノベーションまちづくりは、決して派手ではないけど、じっくりだけど、絶対に後退しないムーブメント。
今もまちのあちこちで少しずつ当事者を増やしながら進んでいます。
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青木純さんが220名の新年講演会で、そしてリノベーションスクールのエンディングトークで市長や市職員もいる中で要望したことが2つありました。
1つは、東口駅前の駐輪場の撤去と移設、そしてもう1つは市民の憩い場としての中央公園と図書館の再活用。
中央公園の再活用については、コロナ禍の昨年8月、「里まちMeetUp」として進捗報告会と懇親会を開催。
今までなかった空気に多くの参加者と関係者が継続した取り組みに向け、決意を新たにしました。
駅前の自転車置場の撤去と移設については、予算がつきそうだと聞きました。
リノベーションスクールは単なる頭の体操でも、レジャー的カルチャースクールでも、耳学問だけのビジネススクールでもありません。
このまちの次世代を担う当事者を加速度をあげて増やしていくエンジンなのです。
そして人生の転機になったという参加者も少なくありません。
行政にとっては、新たな指針を見つける機会になっています。館山市にはそれに本気で応える公務員達がいます。
今の「館山リノベーションまちづくり」は『官民連携』という言葉が上っ面ではないと確信しています。
準備した人にだけ、チャンスが訪れます。
準備したまちにだけ、チャンスが訪れます。
さぁ、新しい未来を描きましょう。
(完)
大きな機会をいただいた「大家の学校」に、今もずっと見守ってくださっている校長の青木純さんに感謝の気持ちを込めて。
漆原 秀